With you,with me




今年の夏はなんか暑いのか涼しいのかよくわかんなくて。
あたしはどっちを着ていこうか朝散々悩んだ結果、中途半端に長袖のワイシャツを肘のところまで折上げた状態で でもやっぱ暑いから半袖着てくればよかったなんて思っていた。
窓から思い出したように吹き込む生温い風にゆるりと目を細めればうつらうつらと眠りの帳。 でもそれは春の時期に感じるような心地好いものじゃない。目が覚めれば汗ばんでいた体がねっとりと冷え込んで微かな寒気を誘うから。
八月はまだ始まったばかりなのに天気はずっと曇りで、 今にも雨が降ってきそうなのに降らない微妙な空模様に一人で苛々する。 夏季休業中にも拘らずこうして学校に来てるのは あたしの成績が赤点を通り越して地下に潜行中だからだ。
数学は嫌い。国語は得意なんだけど。 だって答えが一つしかないなんてナンセンスの極みだと思う、現実世界には有り得ないよそんなの。
教室内には他にもあたしと似たような境遇の奴が それぞれ早弁したり寝てたりMD聴いてたりあたしと同じ様にぼけっとしてたりとか、 それぞれ好き勝手にやっている。 本当は今は自習時間なんだけどまあ、監督の先生からしてどっか行っちゃってやる気ないからしょうがない。 だってつまりあたしたちは、アリスで。 数学なんてやらなくても将来十分食べていけるのだった。 まあ個人の能力次第だけど少なくともあたしはそう。 生まれたときから他の道すら選べなかったのに今更、 仮初めの選択肢の為に厭なことを勉強して何になる?本当に時間の無駄だ。 例え数学好きになったってどうせ、数学者になることなんて許さない癖に。
まあこれは極端だけど、日常生活に不自由しないだけの知識で十分。 ちゃんとした日常生活が遅れるのかはいまいち謎だけど。
<そんな感じで無気力なあたしに纏わりつく空気は水蒸気を含んで暑苦しい。 何だか透明なゼリーがそこら中に満ち満ちて時間も思考も停滞させているみたいに。 もう今は全部が面倒!
何だか座っているのさえ億劫になって息も少しし辛くて、あたしはがたがたとわざと大きい音を出して席を立った。 のろのろとこちらに顔を向ける知り合いに気分悪いからちょっと、とかなんとか適当に告げると向こうも適当に肯く。あたしは意味もなく軽く笑ってみせると、扉を開け放したまま室外に出た。




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窓が開け放された廊下はさっきよりいくらかは涼しかった。いや本当は教室内にはクーラーがついてるはずなんだけど。 なんでも使用の許可が下りなかったのだそうだ。 落ちこぼれには費やす電気代も惜しいってことだろう。 まあ薄汚れた大人の思惑なんかどうでもいい。がらんどうの空間にあたしの靴音だけが響いてこだます。 遠くから届いていたはしゃぐ声も今だけは途絶えている。
窓の向こうには灰青に垂れ込める雲、その下には連綿と続く森。<何だか世界に自分ひとりしか居ないみたいな錯角に陥りそうになる、けど。真っ直ぐに伸びる通路の先に見知った姿が見えて一瞬で改めた。ふたりしか、だ。
窓枠に腰掛けて口にアイスを咥えながら足をぶらぶらさせていた彼は眼だけであたしを追い、 一歩手前で立ち止まるとはじめておお、と気の抜けた声をだす。



「遅かったじゃん」
「そうか?これでも途中で抜け出してきたんだけど」
「んー、もっと早くフケんじゃないかと。てか俺、おまえが真面目に補習に出るなんて思ってなかったし」



おまえと一緒にすんな、 とあたしは言いながらでもやっぱりサボってることには変わりないしなあ、と思い、翼が座っている窓の縁から上半身を乗り出して地面を見下ろしてみる。
ゆらゆらと風が髪を撫でた。別に下には何もなくていつもと変わらない。 斜め上方から何やってんのと呆れた声が降ってくる。



「何ですか美咲さん、暑さでとうとう頭イっちゃった?」
「それはおまえだろ。まあ翼は年がら年中だけど。ただなんとなくまあストレッチみたいな?」
「いや疑問形で聞かれても」



わけわかんねぇよ、と翼は気だるげに答えた。それに口答えするより早く、あたしの首筋に冷たいものが押しつけられる。



「うぅわっ!なっにすんだてめぇはっ!」



窓枠にかけていた手をそのまま振り上げて殴ろうとしたのをすんでのところで翼に避けられる。バランスを崩してたたらを踏むあたしの目の前に、翼はその正体を突き出した。



「やるよ半分。溶けかけだけど」
「あ、なんだパピコじゃん」




ひやりとしたそれは受け取った手の中でゆっくりと熱を吸収して柔らかくなっていく。開け口を半分噛み切って唇をつけると甘い甘い氷交じりの液体が口内に広がった。
おいしい。パピコなんていつも食べてるけど何ていうかつまりは。
なんてことを言ったら目の前のこいつは絶対に調子にのるだろうということは 殿が綺麗なお姉さんを見たらどうするかと同じくらい明らかなので、あたしの中に仕舞って置く。



「翼にしては気が利く」
「うんあのね美咲ちゃん、人を罵倒するか褒めるかどっちかにしようね」



窓枠から降りた翼は隣に来ると同じように窓枠に肘をついて外を眺めながら、暑い、と呟いた。
わざわざ口に出すなただでさえ暑いのにとあたしは言いながら、でももっと今大変な思いをしてるひともいるんだろうなぁと思う。



「あー、戦争してる国の人とか砂漠の人とか?」
「そうそう。あたしらと同い年で日本人の奴もさ、ほどんど受験とかで勉強しまくらなきゃいけないわけだし」
「それに比べりゃましだってか」
「まあな」



一つ溜め息をついてあたしはパピコを吸う。
止んでいた蝉が我に返った様にまた盛んに鳴きだして、

そういえば自分の生まれたところも夏になれば喧しかったな、と柄にもなく思い出した。もうどれだけ帰っていないんだろう。 来たばかりの頃は帰りたくて泣いてばかりだったのに、 いつのまにか夢にも出てこなくなって久しい。 いい子にしてれば帰郷できたかもしれないのに今ではこの様だ。
ふと、思う。もし自分がアリスじゃなかったら。 きっと普通の中学生だっただろうと。 まあ多少問題児なのは変わらないかもしれないけど。
毎日家から学校に通って友達と他愛のないことを話して部活に熱中してテスト前だけ勉強。 それなりに悩んで進路を決めたり親に反発したり誰かを好きになったりとか。
そんな普通の――とても普通の。



「何考えてんの」



視線は外に向けたままぼんやりとした声で翼が聞いてくる。
きっと今こいつはほとんど何も考えないでトリップしていただろう。かなり自信を持って言える。



「や、もしここに来てなかったらどうしてたかなって」
「学園が見逃すなんてありえなくね?」
「じゃなくて、あたしがアリスじゃなかったらって話」



つらつらとさっき考えていたことを話した。
自分の話している声を聴いていると何だかとても平和な感じがした。極普通の、一般的な、どこにでもいる、普遍的な――思いつく形容詞をただ言うのは簡単だけど自分からは遠い。それを寂しく感じるときも、ある。
全部を聞き終わると翼はふうんと生返事をもらした。



「おーまーえーはーっ自分から聞いといてそれかっ」
「いぃいってぇっ!痛い!痛いっすから美咲さん!」



そんなすかした態度を取るのが悪い。
ぎりぎりと頬をつねると翼は痛い痛いと連呼した。 手を離してやると患部を擦りながらぶつぶつ呟いている。



「何か言ったか」
「いーや別に!」



半眼で微笑むあたしに翼は即座に答える。
しばらくまた沈黙が落ちて二人ともどんよりした空をただ見上げていた。ささやかだけど確実に空気は進む。 微速度でも着々と雲は移動していく。やがて切れ目から少しだけ陽の光がこぼれてきて、ようやく思い切れた様に翼が口を開いた。



「おまえはさ、そっちのがよかったとか思ってんの?」
「は?何が?」
「だから、アリスじゃない方がよかった?」



何故か咄嗟に言葉が出ないのは、翼の眼が睨みつけるみたいに強いのが見なくてもわかるから。 家族が一緒にいる穏やかな暮らし。 どこかへ出かけるのに届出も許可もいらない生活。親しい誰かと無理矢理引き離されることもなく自由に笑っていられる、そんな。
そんな、の先を続けられず答えられないあたしに代わる様に翼は言う。



「俺はそれでもアリスでよかったと思ってるけど」
「何で?」
「なんか想像できないんだよな、その普通の生活送ってる俺っていうのが。偽者みたいだし、それに」
「それに」
「ここにいる奴らには会えなかっただろ」



付け足された台詞はおまけみたいに。でもこっちが翼の本音だと。すとんと胸に落ちてきて、言葉にできなかったあたしを納得させてくれる。
確かに普通の暮らしの中ではここまで結びつきが強くなることは中々ないだろう。出会えなかったらと想像すればそれもやはり、淋しい。
少しだけ感傷に浸るあたしを知ってか知らずか翼はもう一度それに、と言った。



「美咲にも会えなかっただろうし」



あらぬ方を向いているのが滑稽だ。 顔が見えなくても動作や僅かに赤い耳の縁で照れていることなんて直ぐにわかるのに。しかしまあ何だかあたしまでこっぱずかしくなってきて、アホか、と呟いた。



「暑さで頭イってんのは翼だろ」
「ほらそういうとこ」



おまえこんな風に口悪いだろ、真意をわかってやれるのきっと世界中探しても俺ぐらいでしょ、 とうそぶく翼の後頭部を軽くはたきながら、自分の頬に熱が昇ってくるのを自覚して。
何だか悔しくなってそんな顔を見られたくなくて まだ外を向き続けている翼の背中に額を少しだけあずける。
そのまま目を閉じればしゃわしゃわと鳴き続ける蝉の声に包まれたみたいだ。 僅かに感じる翼の鼓動が早くなるのがわかって、あたしはわからない様に小さく笑った。






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ヒロノさまから相互記念、ということで頂いてしまいました!やったー!有難う御座います!ですがこちらからは何もお返ししていなくてすみません。何か書こうかなあと思ったんですが・・・!(だってこんな素敵小説書かれる方にわたしの駄目文なんて押し付けられないですよ!いやもうほんっとに!)










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